
展示空間で「過ごす」のはネガティブなこと?


こんにちは!ゼミ生のWです。九月も後半ですね。台風や雨が多い中、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は多摩美芸術祭と造形大学CS祭のダンスステージの準備で大忙しです。
さて、夏休み明け2回目のゼミが終わりました。展覧会の会期も着々と迫っておりますが、本日は「過ごす」という言葉についてお話しできればと思います。展覧会において看視のスタッフはなくてはならない存在です。今年もゼミでは看視ボランティアの募集をしておりますが、そこでこんな質問がありました。
「看視中は編み物をしていてもいいですか?」
ゼミ内で話し合った結果、電子機器やイヤホンを使用しなければ座って作業も可能となりました。そこで、看視を担当する人が展示室内で「過ごす」ことに違和感を感じるとゼミ生の中から意見が出ました。過ごすという言葉は、その場に身を任せて時間が過ぎ去るのを待つような、なんだか受動的でネガティブな印象を受けます。今回の展示において、もっと適切な言葉があるのではと各ゼミ生が考えた結果、いくつか案が出たので紹介します。
まず、作品と空間の境界線が曖昧になるという意味で「混じる」や「馴染む」という案が出ました。過ごすよりも意味が具体的で、語感も強くない。また、人が展示空間に「溶け込む」という意見も出ました。
今回展示する画家の那須さんの作風から考えるゼミ生もいました。那須さんの作品は空間中心ではなく、じっくり鑑賞するというよりも人によってふと立ち止まるので、「過ごす」がしっくりこないのかもしれません。「寄る」や「いる」などが挙げられました。
いろいろな角度で考えましたが、やはり「過ごす」が汎用性があって他の言葉に置き換えるのが難しいという結論に至るゼミ生もいました。自身が美術館にいる時を思い返すと、やはり「過ごしている」と感じます。一方で、看視する側になると、「やり過ごす」という意識が強くなる。そう考えると、「過ごす」に含まれる受動的、あるいは少しネガティブなニュアンスを、無理に否定する必要はないのかもしれません。
ちなみに私の案は「とめる」です。「過ごす」はどうしても受動的に感じられて能動的な意味が弱いことが課題として挙げられましたが、「とめる」はもう少し能動的な気がしました。自分が美術館や展示を見に行って、作品に足を止めた時のことを思い出してみると、動きや状態をその場に置く感覚があって、「とめる」が一番近い言葉かなと。ひらがなで表記したのは、気に留めるや足を止めるだとかクリッピングするなどの色々な意味に掛けられると思ったからです。先輩が、「電車に乗っている時の感覚に近い。通過する駅とぶらり途中下車する駅みたいな感じで。」と仰っていて、展示と直接つながる表現ではないかもしれませんが、なんだか素敵な例えだと思い、気に入っています。
さて、今回は「過ごす」に代わる言葉を考えてみました。せっかく既存の言葉に違和感を抱けても日本語として普通に日常で使っているからか、便利すぎて代案を考えるのは難しいですね。
最近はインフルが流行り出していて、体調を崩しやすい時期ですね。私は美味しいご飯を食べてあったかい布団でいっぱい眠ることを大切にしています。みなさんもどうかご自愛ください。



コメント