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家村ゼミ展2026、明日は最終日

執筆者の写真: 展覧会設計ゼミ
展覧会設計ゼミ
1 時間前
読了時間: 7分

家村ゼミ展2026「「空間に、自然光だけで、那須佐和子の絵を置く」、いかがでしたでしょうか。例年の家村ゼミ展と似ているという声もあればそうでもないという声もあり、様々な感想が届いております。

自分だったらどうやって照明を当てるか想像しやすいというご意見もありました。

また、この展覧会における作為性や絵画のあり方についても結構感想をいただきます。


今回のブログでは、会期中最後の更新になりますので、せっかくなので本展の構造的な部分について自分が設営の時から考えていることを文章にしてみようと思います。

なお、展示する場所などは多くの部分を作家ご本人が決定したということを念頭に読んでいただければと思います。


ベニヤ板
ベニヤ板

カウンターの横の展示室には、ベニヤ板が立ててあります。これは作家が展示などによく用いる私物で、今回は窓に対して相対するように置くことになりました。

このベニヤ板によって自然光が遮蔽されるとともに、展示空間が再規定されます。


《a sketch of moonlight》
《a sketch of moonlight》

ベニヤの反対側の壁面には、《a sketch of moonlight》が展示されています。

様々な色が重ねられているのは作家の特徴的な制作方法によるものですが、この作品ではそれが漫画のコマ割りのように連続しています。同じモチーフを用いた絵画が別の部屋に展示されていることを踏まえれば、関連する作品と言うことができます。


タイトルが「a sketch」となっています。「sketch」というのは写生や下書きのような絵を表す言葉ですが、この作品はキャンバス上に複数の枠が(事前/事後的に)構成され、それぞれにモチーフが描かれているにも拘わらず、「a sketch」と単数形で名づけられています。

この絵が「a sketch of moonlight」を象徴しているのか、実際に「sketch」でもあるのか、その線引きは筆者にはわかりません。


「sketch」という単語には「寸劇」という意味もあります。寸劇というのは、ショートコメディ、小さな演劇の一様式です。

ところで、音楽アルバム(特にラップなど)にはskitと呼ばれるもっと短いコメディの形式がありますが、こういった小さな演劇は、作品のコンセプトを楽曲よりも定義しやすいことがあります。


ヒップホップというのはコンセプチュアルなジャンルです。一曲ごとにテーマがある場合が多く、言葉遣いや歌われる内容も一つのキャラクターを演じるかのように紡がれます。

それでも、skitという分かりやすい虚構が挟まれることによって、アルバム全体が一つのコンセプトに陥ることを防いでいるのではないか、と筆者は思います。


《a sketch of moonlight》がsketchという、一つの絵画の様式をタイトルに冠し、さらにキャンバス上で細分化されることでその四角形の形式性を自ら体現するのは、この展覧会全体が「絵画を小道具にしたコンセプト」になることから防ぐためなのだと自分は考えます。(絵画の様式を示唆するタイトルがつけられているという点は、次の展示室に飾ってある《Triptych of Triptychs of Triptychs》についても同じことが言えます。)


錫の板を用いた《Breathing》2点のうち1点。光を反射する様子がよくわかる。
錫の板を用いた《Breathing》2点のうち1点。光を反射する様子がよくわかる。

奥の展示室に進もうとするところに、錫の板が打ち付けられたキャンバス作品が2つあります(写真に写っているのはそのうち一点)。この2作品は、あらゆる窓から入ってくる自然光がすべての部屋で干渉しあっているという状況を視覚化しています。

この壁は白いので、この板がなくても十分反射します。しかし、この2点が上記のように象徴的なあり方を示しているおかげで、残りの絵の一枚一枚が必然性を持って壁に掛けられているんだ、ということがはっきりするのです。


右から《Landscape》《Moonlight》《Cloud》《Cloud》(設営作業中の写真です。)
右から《Landscape》《Moonlight》《Cloud》《Cloud》(設営作業中の写真です。)

天井の高い奥の展示室には、「Landscape」「Moonlight」「Cloud」といったタイトルの絵が掛けられています。一部の絵は見づらい場所にあるのですが、この部屋にも絵それ自体を象徴する明らかな仕掛けが2つあります。

一つは、展示室の壁面に打ちっぱなしのまま剝き出しになっている釘です。本展では絵画を釘に掛けて展示しているのですが、打ちっぱなしの釘は見せるためのものではなく、作品が掛けられ得る場所を示しています。

作品が掛かっていた場所、あるいは掛けられるかもしれない場所、掛けていたけど外した場所……絵が掛けられてしまえば考えられもしないような様々な可能性をこれらの釘は語ります。(何本か抜いた跡があるのも、同様に時間軸を示唆しています。)


まだ絵を掛ける前の設営中の写真です。どこに絵が掛かっていて、どこに掛かっていないか、本質的な差はないのかもしれません。
まだ絵を掛ける前の設営中の写真です。どこに絵が掛かっていて、どこに掛かっていないか、本質的な差はないのかもしれません。

もう一つは、床に積み重ねられた箱です。これらは、今回の作品を搬送してきた箱で、つまり釘と同じく今回の展示における実用的な道具なのですが、これは8つ重ねてあります。

この展示室を見渡すと作品は7点。この展示室の入口の錫の作品を合わせると9点。つじつまが合いませんが、これも作家が意図していたことで、釘同様に、絵の来し方行く末を暗示し、様々な可能性を持っています。


積み重ねられた作品の箱
積み重ねられた作品の箱

最後に、小さいほうの展示室に飾ってある《Woman Standing》。これもタイトルが特徴的です。

これが「Standing Woman」だとモデルの存在意義が「立っていること」に限定されます。

「Woman Standing」はそれで完結しません。スチルの状態でありながら、モデルには指示が与えられていません。そこにはモデルの取り得る行動の全てがある種比喩的に込められています。

絵画としても、人物の取り得る行動の複数性(中立性ではなく)が強調されています。つまり、この人物は「何もしていない」のではなく「何かをしている」ような落ち着きのなさを持っていると私は思いました。


《Woman Standing》
《Woman Standing》

この展覧会は、意外にも(?)、「絵」を象徴するための小片であふれています。自然光も、その一部かもしれません。

実際に見てもらえばわかる通り、あんまり見やすい展示ではありません。その点についてはご理解いたければと思いますが、実は、いろんな見方ができる展示なんだという点を、このブログでお伝えできればと思います。


会期終了が近づいています。これからは本展のドキュメント(記録集)の編集の期間に突入します。

会場でも早速予約して下さっている方がおり、非常に嬉しく思うと同時に、作家に頼ることのできない作業なので、展覧会以上に緊張し、気を引き締めていきたいと思う次第です。


展覧会会期は明日までとなります。

まだ間に合うので是非お越しください。本日は大学の閉鎖に伴い会場も閉場となります。ご了承ください。


また、ドキュメントの方もいずれこちらのブログやSNS等で告知できればと思います。よろしくお願いします。


4年 ゼミ生H


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那須佐和子さんの個展「敗走者のためのブギウギ」が、新宿のKEN NAKAHASHIで11月4日より開催されます。家村ゼミ展2026に足を運んでくださった皆様は是非こちらもよろしくお願いいたします。



「家村ゼミ展 2022」「家村ゼミ展 2025」にご参加いただいた中村竜治さんが、京都の古民家・瑞雲庵において開催される展覧会「Spatial Dance」に参加されます。





ご興味がありましたら是非ご覧ください。


…………………………せっかくなので最後に個人的に気になる展覧会を少し紹介します。








 
 
 

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