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展覧会にとってカンシとは何なのか?

  • 執筆者の写真: 展覧会設計ゼミ
    展覧会設計ゼミ
  • 8月14日
  • 読了時間: 18分

展示についての展示、展示についての展ゼミブログ


 昨年、ゼミのXでこんな文章をアップロードしました。


先日、長瀞に行って参りました。展示論・展示史的にも重要な土地です。盛んな地質巡検を背景に、先駆的な「秩父鑛物植物標本陳列所」や「秩父岩石化石陳列所」が設置されました。前者はのちの科博が文部省に移管された年に設置、博物館法制定の2年前に改めて博物館として設立されました。(……)もう1つは、明治以降の養蚕・織物業の発達を受けて長瀞駅前に「織物陳列館」があったということ。産業系の陳列館も博物館史において重要なポイントです。長瀞は観光も盛んであったことも関係しているかもしれません。長瀞の養蚕業については資料・民具含め長瀞町郷土資料館に詳しいです。(……) https://x.com/iemuraseminar/status/1956203715280744506

 長瀞。今年は行けなかったのですが、何より鉄道やら気温やら湿度やら植生やらが自分の肌に合っています。

 この文章に出てきた「陳列館」というもの。これに関連して、最近知ったことなのですが、全国に数多くあったこの施設は、戦後になって博物館にとってかわられるのです。面白いのが、この施設を巡って、博物館に「改造」すべしという内容の議論がなされたという点です。この議論自体には終わりは無さそうなのですが、博物館と対置される役割のものであったが、それは博物館に類似したものであった。しかし、どちらも展示という役割のものだった。こういう事実関係を考えると、陳列館についてもっと知りたくなってきます。(参考:犬塚康博「商品陳列所改造論」『博物館のアルケオロジー——落伍・追放・従属・未発・植民地』、2024年、41—63頁。)

 こうした博物館史についての新しい知識については、できれば、展覧会の形で見られると嬉しいですね。そういえば、「幻の愛知県博物館」(愛知県美術館、2023年)はそんな展覧会でした。愛知県には存在しない総合博物館をめぐって、戦前の「愛知県商品陳列館」を紹介し、現代と接続しようとするものです。農商務省出身の山口貴雄を館長に、教育的な側面もある博物館のビジョンを紹介する展覧会でした。「展示」についての「展示」……そんなものを見るのが自分は好きです。


 こんな小難しい話の受け売りをしているのは、今回のブログのテーマが「展示」だからにほかなりません。ウォーミングアップです。弊ゼミの正式名称は「展覧会設計」。「展覧会とは?」「展示とは?」という問いを常に持たなければいけません。

 「展覧会と展示は違うのか?」「何が展示を定義するのか?」「展示は美術館の外にもあるものなのか?」「美術館とそれ以外の展示はどのように違うのか?」などなど。


 とはいえ、大きなテーマで書こうとすると大変です。また、今年のゼミ生増加を受けて、8月はなんと3人ものゼミ生がブログを担当する予定です。1人目として、早めに書き上げて残りの人に余裕を残してあげたいという思いもあり、今回のブログは短時間で書き上げなければなりません。


看視、監視。そもそもカンシとは?


 そう考えていたところ、たまたま面白い資料を見つけました。

 『美術館ニュース』という、戦争が終わって間もない頃の東京都美術館の機関紙です。読んでみると、美術館の利用者や支援者や業界人に情報を伝えるという目的が、今よりもはっきりとしています。実際、『美術館ニュース』には都美で開催される展覧会の情報や関連する作家の消息などが載っています。さらには、他館で開催される展覧会も載っており、美術に関する総合誌と言っても過言ではありません。

 今も美術館では「○○美術館ニュース」や「○○美術館だより」といった機関紙が発行されますが、その中でも古いものではないかと思われます。別の資料を探していた時に見つけたのですが、この『美術館ニュース』の最初の頃の号に、面白い記事が載っていたのです。


 1つは「女子監視員の表彰」(1号、2頁)。この記事では、長期にわたって監視員の仕事に就いていた方の表彰式が行われ、表彰状と記念品の贈答のほか、祝辞や茶話会が行われたということが記されています。興味深かったのは、受賞されている方々の勤務期間の長さが記されていることです。たとえば受賞者代表でもある「田中まさ」さんという監視員の方は、「大正五年上野竹の台陳列館時代より勤務 三十五年」という長期間にわたる勤務をされていたとのことです。つまり、戦前からの激動の美術時代を眺めていたということになります。普段、美術について調べていて、作品や展覧会や美術館についての記事はよく見ても、こうした監視員の方に焦点をあてた資料というものはなかなかありません。

 他の記事も見てみると、当時の監視員の制度がどんなものだったか分かります。ちょうど『美術館ニュース』が発行されていた1951年頃、東京都美術館の女子監視員の団体が「東出組」と「河原組」の2団体から「美友会」の1団体へと統合されたという記事があります(「女子監視員一本立て」2号、1頁)。3号に載せられた「女監視員の雇傭は——規則改正で上野職安え」(2頁)という記事では、職業安定所の規則が変わるので、美術館で展覧会を開催する団体は監視の依頼を上野の職業安定所長に申し込むことになったということが書いてあります。しかし便宜上美術館長でもよいとのことで、「必要の一週間前」に美術館に申し込むという。じゃあそれまでどうしていたのかというと、開催団体が直接雇用していたのだという。今からすると意外なことですが、こうした変遷があり現在の美術館の監視あるいは看視へと歴史が繋がっていることは注目に値します。


 これらの記事を見ていると、監視員という存在がいかに東京都美術館にとって大きな存在だったのかが分かります。展覧会で作品と鑑賞者を見守るという役目は、美術展においては特に大きな要素です。先ほど紹介した「美友会」その会長となった「東出サク」さんの訃報も同じ号に掲載されていますが、機関紙に掲載されるということは相当名前の知られた存在だったと言うことができます。今ではあまり考えられないことではありますが、当時の東京都美術館の内情や制度だけでなく、展覧会場の雰囲気にまで想像が及ぶ、面白い発見でした。


 というわけで、今回のテーマは「監視」ないし「看視」です。我々のゼミ展でもいつも重要な存在となっています。ゼミ生自らが担当し、時にボランティアの方々も参加していただいて成り立っています。我々のゼミ展では、「監視」ないし「看視」も、展示の一部であるという考え方を大事にしています。

 今回のブログで考えたいのは、その「カンシ」。今回の記事では、「監視」ないし「看視」について示すために、「カンシ」という語句を使うことにします。

 カンシについて考え始めた時、すぐに思ったのが、「しかし、そもそも、それってなんなの?」たしかに、美術館などに行けばいつでも「監視」ないし「看視」はいます。どういった仕事をしているのかは、ネットを調べればすぐにわかります。しかし、その存在は、展示にとってなんなのか、そう漠然と考えました。今回は、この問いから始めてみたいと思います。


カンシという概念


 このカンシという概念。前から不思議に思っていたのですが、なぜ「監視」「看視」という異なる字が当てられるのでしょうか。

 たしかに、「檻」という漢字も連想させる「監視」に見られているよりは、「看護師」のような響きを持った「看視」の方が柔らかい印象を受けるのかもしれません。

 どういった変遷があったのか、なぜこの2語の間で揺れなければならないような気持ちが湧き起こされるのか、そういったことは、具体的には、語源などから考える必要がありそうですので、今回はカットしましょう。

 しかし、カンシという言葉そのものに興味があります。まずは自分の本棚からおもむろに2冊取ってみます。読み進めてみると、こんな文言が出てきました。


そのあと看視人が調べてみると、お尻のあたりの絵具がおよそ半ミリほども凹んでいたという話である。

北杜夫「ゴマンとある名画のことなど」『どくとるマンボウ航海記』新潮社、1965年、170—171頁。


美術館の監視員の仕事は、あくまでも鑑賞者が静かな環境で正しく鑑賞するかどうかを見守ることにある。

原田マハ『楽園のカンヴァス』新潮社、2014年、12頁。


 この2冊だけで比較にはならないのかもしれませんが、昭和時代の随筆に「看視」、平成時代の小説に「監視」と使われていることはどこか意外であり、どこか納得のいくところでもあります。なんとなく、「看視」というと古い言葉なのではないかなという自分の直感が一つ、カンシの主戦場である展覧会がより興行的なイメージになった現代における美術館制度と私たちとのゆるやかな剥離が「監視」という固い言葉に出ているのではないかというこれまた直感が一つです。


カンシがウインクする


 すると、調べたいという欲求が出てきます。つまり、カンシがいかに描かれてきたのか?という点です。

 最近私は国立国会図書館に登録したので、「国立国会図書館デジタルコレクション」でも色々と調べ物をしてみることにしました。すると「監視」や「看視」といった言葉だけでも色々な事例が出てくることに驚きます。

 見つけたものから面白いものを年代順に書き出してみることにします。面白いというのは、カンシがいかに描かれているか。という点になります。まずは「看視」から。


英国特にロンドンには立派な博物館や美術館が多いが、(……)立派な建物、整頓された清潔な雰囲気、そして親切な看視人の中で、(……)

中道峯夫「ヨーロッパに旅して(二)」『港湾』No.2 Vol.30、1953年2月、15頁。


ヨーロッパ人は制服が好きなようです。美術館の看視人や宮殿の守衛,レストランのドアボーイ,兵隊,警官とユニフォームを着た人はたくさんいます。

熊本高工「ヨーロッパの造形」『日本美術教育総監 戦後編』日本美術教育連合編、日本文教出版、1966年、294頁。


中はシャガールがイスラエル教会のために作ったステンド・グラスの特別公開の日だった.大きな体の美術館の看視人たち(いつもは,退屈そうな顔で女の子にウインクばかりしている奴ら)も,その日は立ち止まる人間たちを追いたてるのに夢中だ.

山口勝弘『不定形美術ろん』学芸書林、1967年、33頁。


音楽室に入ったらそこにはピアノが年代に応じて展示されてあり、最も古いのは一七〇七年で、案内の技師が正服正帽の看視員に話すと、早速そのピアノを弾いてくれた。

山戸利生「欧州の旅」『逓信協会雑誌』667、1966年12月、27頁。


 自由な雰囲気の欧州紀行文がほとんどですが、全部美術館や博物館の中の話です。「看視人」あるいは「看視員」が使われるようです。よく考えると、我々は「カンシ」だとかよく口にしていますが、これは行為の名詞でもあります。こうした言葉の変化も面白いと思います。


 日本においてはこの時代、海外に旅行に行くことは難しかったとされています。海外渡航の自由化が1964年。調べていないのですが、引用した文章の著者たちはほかに渡航の名目があったのかもしれません。しかし、渡航した人は多様な地域へ旅に出ています。今あげたものの中でも、ロンドン、イスラエル、ドイツといった国の風景が挙げられています。

今では動画サイトを無心に眺めていれば、または休日の朝にテレビをつけていても、本屋にいっても、こういった海外の情報は手に入れようとするまでもなく入ってきます。ですが、この時代にはそれは困難なことだったと思います。

 その分、読ませる文章を書いてくれています。海外旅行が普通になった今でも、こんなに引き込まれるような文章を書いているというのは、書き手の熱がこもっているからでしょうか。

 具体的には、描写です。雰囲気や服装や行動など、人のことをつぶさに観察して書いています。さらに、中道や熊本の文章では、羅列することで、スペクタクル的に海外の風景を再現しています。山口の文章では、カンシをしている人の普段の振る舞いにまでその目線が行き届いています。美術家である山口は、有名な実験工房の活動を経て、1961年に初の海外旅行を果たしますが、海外に行かなければ分からない雰囲気を伝えてくれます。

 このような文章の細かい描写から浮き上がってくるのは、カンシというものが彼らのような勉強熱心な旅行者に与える「印象」です。こうした海外での体験が、カンシというもののイメージを作り上げたとも言えるのではないでしょうか。そう考えると、「看視」という漢字をあてることは、なんとなくあっているように思われます。


仕事としてのカンシ


 続いて、「監視」について。こちらも、それがどう描かれているか、に注目したいと思います。先ほどよりも固い文章が多いのですが。


探せば案外障害者向きの仕事があると思う。外国では美術館、博物館などの守衛や監視人には、障害者を多数使っているという。

寺尾義雄「白衣の人たちに職を」『職業安定広報』1953年9月号、25頁。


(……)この老監視君は、やおら威儀を正し、「うふん」と、もつたい振つた咳払いを前置きに、音吐朗々、説明を始める。

渡辺紳一郎「御案内」『巴里風物誌』東峰書房、1955年、220頁。


ここから数分とかからぬ所にアカデミヤ附属美術館があるので、ミケランゼロの「ダビイデ」を観に行く。(……)ここにあるものが唯一の原作であると監視人が教えてくれた。

稲村退三「欧米を旅して——フイレンツエ・ピサ・ナポリ・ポンペイ・パリ」『教育美術』第17巻第10号、1956年8月、62頁。


一九五〇年に出たコルマン著の「美術館建築」(Laurence-Vail Colman; Museum Building 1950)(アメリカ博物館の協会刊)によれば、美術館の活動に必要である施設の内容を次のように述べている。

ロビイ。友の会のための部屋。(……)監視人と職員休憩室。(……)

柳生不二雄「日本の美術館」『神奈川県立近代美術館年報』第1号、1957年4月、90—91頁。


展覧会自体は確かに(……)豊富な資料の展示をしてはいても,観覧者の身になってみると不満はある。(……)監視係の青年はガムを歯みながら鼻歌をうたっていたり(……)

原秀太郎「デパート展覧会は大繁盛」『博物館研究』第38巻第1号、1965年1月、29頁。


しんしんと底冷えのする美術館監視嬢は椅子に塑像の如く

宮下安太郎(歌人)「上野美術館(日展)」『硬質』覇王樹社、1966年、115頁。


 やはり欧米に滞在した際の随筆に出てきて、最後はなんと短歌に出てきました。

 「監視嬢」という言い回しは今からすると変な感じがします。さて、当時のカンシはどういった人が働いていたのでしょうか?途中の引用にも出てきましたが、当時の日本の展覧会といえば百貨店が主流。つまり、カンシについて考える上では、百貨店の展覧会についても考えるべきなのかもしれません。というと、「監視嬢」つまり女子のカンシはそれほど一般的だったのでしょうか?ここで大事なのが、この連作の題名。「上野の美術館」とありますので、百貨店の展示ではないのです。百貨店で女子が表に出ることはなんとなく想像がつきますが、この記事で最初に紹介したように、上野の美術館にも女性のカンシがいたのです。さらに、「監視嬢」という言い方から、なんとなく親しげな雰囲気が読み取れます。警備員のようなごつごつした服は着ていなかったのでしょうか。そして椅子に座っています。つまり、この歌から受ける印象は、現在のカンシとほとんど同じなのです。


 また、『職業安定広報』という、美術館について調べていて出てくるとは思えないタイトルの雑誌が出てくるのが検索の面白いところです。傷痍軍人も街にいた1953年の話。このころの美術館や博物館というのは、前年に開館した国立近代美術館(今の東京国立近代美術館)やその前の年の神奈川県立近代美術館、それに上野の博物館や私立の博物館があったような状況です。今と比べて美術館がどのように受容されていたのかを鑑みても、そのカンシが仕事として数えられていたことが興味深いです。


 そして、その神奈川県立近代美術館の年報。アメリカの美術館建築の理論を引用しています。紀要では、この次のページに「日本の美術館・博物館一覧表」というものも掲載されています。当時、神奈川県立近代美術館を作った先人たちは、ほとんど手探りで「近代美術館」という形を考えていた中、こうした先行事例を研究し、「どのような美術館をつくるべきか」を考えていた様子が伺えます。 参考:ここで取り上げられている「コルマン著の「美術館建築」」というのはこちらの書籍のようです。https://openlibrary.org/books/OL6085008M/Museum_buildings


 そして、大事なことに、紀行文におけるカンシの描写も、先ほどと変わらず、するどい観察力を携えています。特に、渡辺が描写する、展示室で喋りだす「老監視君」は現在の日本ではあまり見ない光景ですが、本当に海外の美術館ではカンシが急に喋りだすのだろうと説得させてくれます。稲村の文章でも、カンシは説明する役割として描かれています。しかし、自分の実感として、紀行文の検索結果は「看視」よりも少なかったと感じます。代わりに、寺尾や原の文章にあるように、より実務的な面での言及が多いと感じました。


 たった2つの単語なのに、奥が深いです。ではそもそもなぜカンシなのか?海外ではguardなどと呼ばれているけれど日本で「守衛」とは呼ばれていないところから何か掴めそうな気もしますが、今回はもっと面白いことが分かりました。

 それは、カンシという存在がいかに人々に強い印象を与えているかという点です。つまり、カンシはユニフォームに身を包み、喋り、ピアノを弾き、鼻歌を歌い、女の子にウインク……とまではいかなくとも、観客に語りかけているのです。そういったイメージが、文学の内側で築かれていたのではないか。というのが、自分の大胆な仮説です。


で、展示にとってカンシは何なのか?


 さて、落としどころがなくなってしまいました。

 ところで、カンシについて書かれた文章を読んでいたら、なぜか自ずと頭の中に行ったこともない美術館や博物館の展示室が建築され、そこで我々が資料を求めて動き、見て、カンシの話に耳を傾ける、そんなイメージが浮かび上がりました。そう、展示について書かれた文章は、展示のイメージを作ることができるのです。


 私たちは昔の展示空間を知ることはできるのでしょうか。それは、今やってきたように過去の随筆や文学が伝えてくれるものです。では、さらに踏み込んだ問いです。そうやって先人たちが観察を重ねて生み出してきたような文体やその情景・雰囲気を、我々は展示空間から受け取ろうと思えているのでしょうか。

 私たちは、展示を見る時には人込みや空調や看視やキャプションや様々なものを気にせずにはいられません。一方で、過去の資料(美術品や歴史資料)について考える時には、作品に付随する情報は読み込んでも、それがどんなふうに展示されてきたのか考えることが多くありません。もっと言えば、我々が展示を思い出し、頭の中で再びそれを随筆するとき、カンシや(カンシ以外も含めての)話し声などは、切り捨ててしまっているのではないでしょうか?もちろん、そういった情報は、臨場感を演出するテクニックでもあります。しかし、今読んできたような随筆では、そうした声そのものこそが、鑑賞体験だと言っても過言ではないほど、その印象は強く残っています。


 勿論、インスタレーションやサイトスペシフィックといった言葉を引き合いに出すまでもなく、現代美術を見る時にはその展示空間を考えることはあります。しかし、それは作品の構造に内在する情報にすぎません。だから、ほとんどの資料については、その周りの空間について考えを巡らせたことはないかもしれません。せっかくなので、(我々が展示空間ごと味わっていると思いがちな、)現代美術の話をしましょう。


 例えば、最近ポーラ美術館で展示されたことも話題となったフェリックス・ゴンザレス=トレスのキャンディの作品。もっとも有名な《無題(L.A.でのロスの肖像)》(1991年、シカゴ美術館蔵)はこのブログの読者なら知っている人も多いと思います。この作品が発表されたとき、どんな風に展示されていたのか気にしたことはありますでしょうか。(実は、入り口と思われるガラス張りの扉を入ってすぐに飴が敷き詰めてありました。)


 例えば、マルセル・デュシャンの有名な《泉》が、「ニューヨーク・アンデパンダン」展の会場にどのように展示されていたのか、気にしたことはあるでしょうか。(正解は、「展示されていない」です。)


 展示を見る時に、展示の情報にないものを積極的に受け取ること。もっと言えば、今回引用したもの、つまり鑑賞体験としての随筆を書こうとすること。随筆の中には、作品情報よりももっと豊かな空気や雰囲気が閉じ込められている。そうした空気や雰囲気自体が、展示なのではないかと今回、思ったのです。我々がカンシについて持つイメージや、展示のあり方について持つイメージを変えてしまうような、作ってしまうような随筆を、心の中に持っておきたい、と改めて思うと同時に、それを人に伝えていけたら素晴らしいことだと、考えたのでした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 長い文章になってしまいました。お盆で時間がある方に楽しんでいただけましたら幸いです。


 今年のイベントでお呼びする予定の、小林正人さんの作品《この星のモデル》(2016年、東京都現代美術館蔵)が、「MOTコレクション はじめて、びじゅつ」(東京都現代美術館、~8月16日)にて展示されています。様々な絵画作品と比較して並べられています。是非訪れてみてください。


 また、今年のイベントでお呼びする予定の青木淳さんと、美術家リチャード・タトルとの展覧会「ほぼ、空:青木淳 + リチャード・タトル」(~9月23日)が初台の東京オペラシティ・アートギャラリーで開催されています。普段は別の機能を持っている空間が再構成され、新たな空間を生み出しています。こちらも是非訪れてみてください。


 なお、今年の家ゼミ展の概要、およびイベントの概要は以下の通りです。



空間に、自然光だけで、那須佐和子の絵を置く


会期:2026年10月3日(土)— 10月26日(月)

休館日:10/4(日)、10/11(日)、10月18日(日)、10月25日(日)

開場時間:10:00−17:00

会場:多摩美術大学️八王子キャンパス アートテークギャラリー

入場無料​


トークセッション1

日 時:2026年10月10日(土) 13:00-15:00

会 場:多摩美術大学アートテークギャラリー

登壇者:第一部:小林正人(画家)、鎮西芳美(東京都現代美術館学芸員)

    第二部:第一部登壇者 + 那須佐和子(画家)、家村珠代​​​


​トークセッション2

日 時:2026年10月12日(月・祝) 13:00 -15:00

会 場:多摩美術大学アートテークギャラリー

登壇者:青木 淳(建築家)、中尾拓哉(美術評論家)、中村竜治(建築家)、

    那須佐和子



 最後に、今回のブログを書くにあたって参考にした、展示空間のそのものについて面白いと思った研究をいくつか挙げておきますので、参考にしてみてください。

・今村信隆『「お静かに!」の文化史——ミュージアムの声と沈黙をめぐって』文学通信、2024年。

・今村信隆『「お静かに!」の誕生——近代日本美術の鑑賞と批評』文学通信、2025年。

・北澤憲昭『眼の神殿——「美術」受容史ノート』筑摩書房、2020年。

・木下直之『美術という見世物——油絵茶屋の時代』講談社、2010年。

・蔵田愛子「美術展覧会の中の植物」『植物と歩く——練馬区立美術館コレクション+』木下沙耶子編、練馬区立美術館、2023年、62—66頁。


(去年の学生企画の準備の様子)


(ゼミ生H)


 
 
 

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