会期は終了、されどゼミ展は続く…
- 展覧会設計ゼミ

- 10月30日
- 読了時間: 6分
みなさん、こんにちは。
展覧会設計ゼミ(家村ゼミ)3年の武内開誠と申します。
10月前半、季節が夏から秋に急激に移り変わるころ、実は家村ゼミ展2025も怒涛の日々を送っていました。
【学生企画】
まず、10月7日(火)には学生企画が行われました。学生企画とは、学生が主体となってゲストをお招きし、ゼミ展に関する文章の添削や展覧会全体のマネジメントについての講評などを自由に企画するものです。
今年は昨年同様、東京国立近代美術館主任研究員の成相肇さんをお招きし、ゼミ生が書いた文章の講評やゼミ展を開催するまでの過程などを発表しました。文章の講評では、2~3人の班を3つ作り、それぞれが異なるコンセプトで文章を作成しました。
たとえば、ある班は、「ゼミ展をまだ見に来たことがない人に向けたハンドアウト用の文章」を書いたり、またある班は、「アートテーク・ギャラリーが美術館だったとして、展覧会を見たあと、併設のカフェでお昼を待つ間に読んでみようと手に取った「美術館だより」(A4、8ページ)に載ってるA4見開きぐらいの文章(担当学芸員としての執筆)」を書いたりと各自が細かいコンセプトのもと実際に美術館で読むことができる媒体を想定して作成しました。

私の班では、展覧会図録にある巻頭の、担当学芸員による論考を想定し、作家中村竜治に焦点を当てた批評文を書きました。実は昨年の学生企画でも、ゼミ生の書いた文章の講評はありましたが、前回は1人で書いたのに対し、今年は2~3人の複数人で文章を書くという違いがありました。

当初は、3人で論理が一貫した文章を書けるのか、限られた準備時間の中で十分にお互いの意見を摺り合わせることができるのかなどたくさんの心配がありました。しかし、お互いに忙しい中でも放課後に集まる時間を設け、暫定的に各自が担当するセクションを振り分け、なんとかひとつの文章にまとめることができました。なかでも、各自がどのような意図で文章を作成したのかを確認し、どのようにすればスムーズに論理を展開できるのかという話し合いは、自分以外の人がどのように思考し、どのような言葉で表現しようとしたのかを知る良いきっかけとなりました。
嬉しいことに、成相さんからも3人で書いたとは思えないという言葉もいただくことができました。その他の班も、全体的によく書けているとのお褒めの言葉もいただくことができました。一方で、曖昧な単語の使用を避けることや批評文を書く際には作家が書いた文章以外からも積極的に参照すること、学芸員として自分なりの意見を表明することの重要性なども教えていただきました。
(余談:今年の学生企画もアートテークギャラリーにて行い、105の展示室の壁にプロジェクターでPCの画面を投影しました。起動時の青い光が投影された空間は、夜の海の中にいるような不思議な感覚でしたが、なんともいえない既視感を抱いていました。後になって振り返るとあの既視感は、昔のWindowsの標準ホーム画面でした…。気になる方はぜひ「Windows10 窓 壁紙」で検索してみてください!)

【撤収作業】
さて、10月7日(火)の学生企画を終えるとすぐに、10日(金)には会期を終え17時より撤収作業が始まりました。
今回、設営に2日を要したフィルムもいざ撤収となれば、あっという間でわずか1時間ほどで撤収作業を終えました(設営作業の様子はこちらからご覧いただけます)。

19日間の会期中、フィルムは文字通り雨にも負けず、風にも負けず、雪はありませんでしたが夏の熱さ・湿気にも負けず、時々踏まれてしまうことがありながらも静かに耐えてくれました。そんな、フィルムに「ありがとう。お疲れ様」と心の中でねぎらいの言葉をかけながら、丁寧に芯棒に巻きつけていきます。
ちなみに、私がまくとフィルムが端によってしまうため巻く作業は手先の器用なゼミ生にお任せしました。みんな、ありがとう。
ゼミ展で使用したフィルムは、ゼミ生のご友人たちにお渡ししました。会期を終えたフィルムたちはまた違うフィルム人生をそれぞれ歩んでいくことになります。
【会期を終えて】
「家村ゼミ展 2025 中村竜治 空間に、自然光だけで、フィルムを置く」はありがたいことに、合計1,231人もの方々にご来場いただきました。みなさまのおかげで何とか会期を終えることができました。この場をお借りして感謝申し上げます。
個人的な話となってしまい恐縮ですが、実は私は今年の4月から多摩美術大学に3年次編入生として入学しました。もともと、今年の3月に総合大学の法学部を卒業した私がなぜ、多摩美に編入したのかについては、様々な理由がありますが、最も大きな理由は展覧会設計ゼミのHPをみたことです。
以下少し長いですが、HPの文章をそのまま転載します。
「多摩美術大学美術学部芸術学科·家村ゼミは、制作を通して、作家·学生·教員、またその周辺との間で生起する試行錯誤全体を「家村ゼミ展」と呼んできました。「展」という言葉は入っているものの、それはできあがった展覧会そのものを指すのではなく、そこに向かって進む過程全体·運動体のことを指しています。つまり、「家村ゼミ展」とは、展覧会のあらかじめ完成形を決め、その実現を目指す従来型の「展覧会」ではなく、一種のアート·プロジェクトなのです。」(多摩美術大学 芸術学科 展覧会設計 家村ゼミHPより)
この文章を読んだ時、少し頭が混乱しました。ゼミ展がアートプロジェクト!?運動体!?一体、家村ゼミの目指す展覧会とは何なのだろう。この疑問に対し、自分なりの答えを見つけるために私は、多摩美の芸術学科展覧会設計ゼミに入ろうと決心しました。
会期を終えて、展覧会全体が運動体であるということが少しだけ理解できたように思います。たとえば、今年の展示はコンクリートブロック案にするか、フィルム案にするかという二択から始まりました。どちらにするかには、長い議論があり、実験をしてみて初めてわかることばかりでまさに思考錯誤の連続でした(コンクリートブロック案の実験の様子についてはこちらから)。
最終的にフィルム案を採用することになり、苦労して設営を終えたあとも思考錯誤の連続でした。会期中、ハンドアウトを手に取ってもらうにはどうすればよいのか、展示室で過ごしてもらう工夫などの議論が続きました。
また、フィルムも時間が経つにつれ空気が入ることでシワがよったり、表面にホコリが堆積したりなど些細な変化ながらも確実にフィルムと展示空間は日ごとにその姿を変えていきました。
通常の展覧会は、あらかじめ完成形を定め、その空間を維持することが重要視されます。しかし、家村ゼミ展は、最初からゴールを設定するのではなく、常に思考錯誤・議論しながら展覧会そのもののカタチを変化させていきます。
そのような意味で、家村ゼミ展とは一つの生成変化のプロセスそのものだと実感することができました。
【家村ゼミ展は続く…】
さて、家村ゼミ展2025の会期は終了しましたが、私たちの活動はまだ終わりません。
展覧会は基本的には、一回限りのもので、全く同じ展覧会は二度と再現できません。
ですが、展覧会はドキュメント(図録)という形で皆さんの記憶と共に残すことができます。ということで只今、家村ゼミ生一同心を込めてドキュメントを鋭意制作中です!
ドキュメントの制作過程については、今後のブログでもご紹介することがあると思います。
展覧会が終了しても、今後の家村ゼミの活動に注目です!!



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